言葉には、
核兵器に勝るとも劣らない
威力がある
威力がある
核兵器に勝るとも劣らない
言葉には、
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言葉には、核兵器に勝るとも劣らない威力がある
全世界、全人類で発明されたものの中で、「地球上の生命をすべて破壊する能力を持つ大量破壊兵器」があります。
核兵器です。
ですが、私は「言葉」もまた、核兵器に勝るとも劣らない威力を持つ発明だと考えています。
言葉は、時間も空間も軽々と飛び越えます。一瞬にして全世界の人たちの心に入り込み、人々の感情と行動に影響を及ぼします。
無作為に放たれた言葉が、生きる気力を奪うことがある。
一方で、あたたかな言葉が勇気を与えることもある。
言葉は、最大の殺戮(さつりく)兵器であり、最大の福音(ふくいん:喜びの知らせ)なのです。
「智者のペンよりも恐ろしい剣はない」
「舌は刃より強い」
「言葉は剣よりも強し」
「ペンの一撃は剣の一撃より深い」
「剣をつけた多くの者が、ガチョウ羽のペンを恐れる」
いずれの格言も、「ペンによって書かれる言論や思想は、武力よりも大きな力を持つ」という意味を示しています。
有史時代(文字の成立以降の時代)は、言語が文化をつくり、言論が歴史を動かしてきました。
宗教が人類に大きな影響を与えているのも、「神」や「仏」という概念が「経典」や「聖書」として言語化されているからです。
インターネットの登場によって、言葉の力はさらに強くなりました。いつでも、誰でも「遠くにいる他人」に影響力を行使できます。
誰かを救うために言葉の力を使うのか、それとも傷つけるために使うのか……。それは、使い手の心に委ねられています。
仏教が「言葉」の力に細心の注意を払ってきたのは、言葉は「自分の内側、内面」から発せられるものだからです。
誰に対しても慈愛(じあい)の心を持ち、愛のある言葉を発する。
命あるすべての人に、「親が赤ちゃんを慈(いつく)しむような愛」を持って言葉を発する。
それが仏教の教えです。
言葉の使い方に、取扱説明書はありません。しかし、本書でご紹介する「八正道」や「布施行」といった教えの中に、慈愛の心で言葉を使うためのヒントがあります。
慈愛に満ちた「愛語」を実践する
2023年5月、「大愚道場 in Los Angeles」(ワークショップ形式の勉強会)の開催にともない、カリフォルニアに滞在したときのことです。
袈裟を着ていたからでしょうか。海岸沿いを歩いていた私に、「あなたは、日本の禅マスターですか?」と声をかけてくださった女性がいます。
私が「そうです」と返事をすると、彼女は「ぜひ、瞑想について教えてほしい」と言ってきました。
私は快諾し、後日、彼女のご自宅にうかがうことになったのです。
彼女の家で、ご家族やご友人、親戚の前で「合掌(がっしょう)」をして見せ、「合掌とは、両手のひらを顔や胸の前で合わせて拝むことです。人間が生み出してきた相手と争わないための知恵の象徴です」とお伝えしました。
アメリカ社会は、日本以上に分断、格差、差別が広がっています。日々、厳しい競争にさらされ続ける彼女たちにとって、合掌の考え方は心を打ったようです。
私はネイティブスピーカーではないので、英語を流暢に話すことはかないません。それでも、アメリカの方々が私の話を理解し、共感してくださったのは、「合掌を広めたい」という私の「思い」を汲み取ってくださったからです。
言葉と言語は違います。言葉とは、メッセージです。言語を巧みに扱うことができなくても、外国語に精通していなくても、メッセージは届けることができます。
そのメッセージに、相手を思うやさしさや、本質的な正しさが込められていれば、必ず相手の心を動かすことができます。
人間にとって本当に大切なのは、思いやりを持って、穏やかな言葉を使うことです。
SNSが普及したことで言葉があふれ、暴力的な言葉、不適切な言葉、ネガティブな言葉、人の心をえぐる言葉が蔓延しています。目立つために、影響力を行使するために、炎上覚悟で言葉を暴走させる人もいます。
ですが、刺激的な言葉で説き伏せるより「穏やかな言葉」で相手に寄り添うほうが、自分の意見、考え、気持ちを深く伝えることができるのです。
相手に寄り添う穏やかな言葉を、仏教では「愛語(あいご)」と呼びます。
愛語……やさしい言葉、慈愛に満ちた言葉、愛情のこもった言葉
強い言葉で人の心をこじ開けようとしない。思いやりのある穏やかな言葉で相手を励まし、勇気づける。それが本書のテーマである「愛語の実践」です。
曹洞宗の開祖、道元禅師が、
「愛語能よく廻天の力あることを学すべきなり(愛語には、世界を良い方向に変える力、天地をひっくり返すような力がある)」
とおっしゃっているように、愛語には、言い争う社会、炎上する社会に調和をもたらす力があります。
暴力的で反社会的な言葉を使って注目を集めるのではなくて、ひとつでも、ふたつでもいいから愛語を学び、穏やかに健やかに、人々とつながっていくことが大切です。
だからこそ、愛語を習得する必要があるのです。
苦しみを手放したければ、まずは「使う言葉」を変えてみてはいかがでしょうか。
本書がみなさまの拠より所どころとなれば、著者としてこれほどの喜びはありません。
なお本書は、株式会社文道の藤𠮷豊さんと、小川真理子さんに編集の協力をしていただいています。文道のおふたりは、30年近く出版の世界に身を置き、雑誌や書籍の制作に携わってきた現役ライターです。
膨大な文章と接してきた現役ライターの視点は、「言葉の影響力」や「言葉の使い方」を知る上で参考になると考え、本書の第4章、第5章では、私と文道のおふたりで鼎談(ていだん:3人で話し合うこと)を実施しています。
この先、私たちは言葉とどのように向き合っていくべきなのか、「言葉との接し方」を考えるヒントになれば幸いです。
佛心宗 大叢山 福厳寺 31代住職 大愚元勝
- 今の活動(事業)をさらに発展させたい
- 現状を打破するための突破口が欲しい
- ビジネスの基本になる考え方を身につけたい
- スキルアップを目指したいがどうすればいいかわからない
- 一生モノの学びを得たい
- 真のリーダー(経営者)になりたい
- 時代や流行に左右されない「力」を得たい
- これまで仏教に興味があったけれども、なかなか触れる機会がなかった
- 仏教をもっと勉強したい
大愚元勝
佛心宗大叢山福厳寺第31代目住職。
慈光グループ会長。僧名「大愚」は、大バカ者=何にもとらわれない自由な境地を表す。駒澤大学、曹洞宗大本山總持寺を経て、愛知学院大学大学院にて文学修士を取得。僧侶・事業家・セラピスト・空手家といくつもの顔を持ち、「僧にあらず俗にあらず」を 体現する異色の僧侶。
令和元年に、仏教の本質に立ち返って「慈悲心、知恵、佛性を育む」ことを宗旨とする佛心宗を興し、従来の慣習や常識にとらわれない会員制寺院を創設し、新たなスタートを切る。住職としての職務や内弟子僧侶の育成のほか、「仏教の本質と実生活への応用」を学ぶことができる「佛心僧学院」、心技体を備えた次世代のリーダーを育成する「佛心経営マンダラ」、仏教を体感で学ぶ「大愚道場」を運営するなど、様々な切り口から仏教を伝えている。
主な著書に『苦しみの手放し方』(ダイヤモンド社)、『最後にあなたを救う禅語』(扶桑社)、『自分という壁』(アスコム)などがある。
株式会社 文道
(藤吉さん・小川さん写真)
プロフィール
(これまで出して来られた本の書影)
著書一覧:
- はじめに
第1章:正しく見て、正しく考え、正しく言葉を使う
- 仏教とは、自分自身を内観して、感情をコントロールするトレーニング
- 自分の心の中で起きていることは、他人の心の中でも起きている
- 他人を言葉で攻撃する人は、自分への執着が強い人
- 正しく物事を見ることができなければ、正しく言葉を使うこともできない
- 自己中心的な見方を離れ、ありのままに物事を見る
- 思い込みや自分の欲から離れ、物事を自由自在に見る
- 「我」から離れることで、言葉づかいが変わる
第2章:赤ちゃんを慈しむ気持ちで言葉を使う
- 「やさしい言葉」で接するのも「お布施」のひとつ
- 赤ちゃんを抱いたときの愛おしさで、相手と接する
- 厳しい言葉も、愛語になるときがある
- チャレンジをしていない人に、「愛語」は身につかない
- 「愛語」を与える人は、「愛語」を与えられる
- 嘘も方便。善行の前では、認められる「偽り」がある
- 「たわいない会話」が、対人関係をなめらかにする
- さまざまな角度から言葉の感性を磨く
- 「身口意」を整えて、愛語を実践する
第3章:「写経」は、自分と向き合うプロセスである
- 般若心経は、智慧を理解し、人間性を完成させる教えである
- 写経は、自分の心と向き合う行為
- 書は人なり
- 自分流、自己流を捨て、素直な気持ちで模倣する
第4章:「SNS」と正しく向き合う……大愚元勝×文道 鼎談①
- 言葉と行動を一致させる
- 文ハ、是レ、道ナリ
- SNSの誹謗中傷から身を守る方法
- 正解はひとつではない
- あらゆるものは、人の心がつくっている
第5章:「書く力」は、大切な人を守る……大愚元勝×文道 鼎談②
- 手で書くか、キーボードで入力するか?
- 書く力は「よく生きる力」を養う
- 人生も書くことも「真面目さ」が肝心
- 評価を恐れずに一歩を踏み出す
- あなたの言葉には、人を動かす力がある
- 思いのある言葉には、人を守る強さがある
Column 5 数字の虜になってはいけない
- 編集後記
出版元
Nalanda出版について
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